フランス映画の公開告知

恐るべき子供たち10月初旬より 渋谷イメージフォーラム他全国ロードショー!

コクトー最高傑作の小説が、メルヴィル最高傑作の映画になった!(フランソワ・トリュフォー

 

映画史にその名を刻む傑作『恐るべき子供たち』が、

フランス初公開70周年を記念して、

奇跡の4K映像で現代に蘇る!

 

それは同性愛か近親愛か…

美しき姉弟によって繰り広げられる、危険な戯れ(ゲーム)

コクトー芸術×メルヴィルスタイル

演劇的なアプローチと即興演出、今なお斬新なそのスタイルは後のヌーヴェルヴァーグの大きなうねりへと繋がる記念碑的な作品でもあります。

日本でも寺山修司澁澤龍彦萩尾望都らに多大な影響を与えたこの不朽の名作が、「燃える女の肖像」の横井和子さんの字幕によって新しく生まれ変わりました。

 

 

あらすじ

ある雪の日の夕方、中学生達の雪合戦が熱を帯びる中、ポールは密かに想いを寄せていた級友ダルジュロスの放った雪玉を胸に受け倒れてしまう。怪我を負ったポールは自宅で療養することになるが、そこは姉エリザベートとの秘密の子供部屋、他者の介入を決して許さない、危険な愛と戯れの世界だった。

 

コクトーとその時代 

恐るべき子供たち』は1929年に当時40歳の詩人ジャン・コクトーが執筆した小説であり、ギリシャ神話ならびに古典悲劇や神話、寓話を彷彿させるコクトーの代表作である。コクトーは詩、小説、評論、絵画、演劇、映画とあらゆる芸術分野で多彩な才能を発揮した。そのマルチな才能で一躍時代の寵児となった彼の周辺には、ラディゲ、サルトル、ヴォーヴォワール、ニジンスキー、本作の衣装を担当したココ・シャネル、サティ、ピカソエディット・ピアフ藤田嗣治ら、その時代を担った芸術家たちが常に集っていた。パリが、まだ世界の中心都市として最先端のカルチャーを世界へと発信し続けていた、華やかかりし時代である。


映画化を拒み続けていたコクトーの前に突然現れた天賦の才能

“芸術”の最高峰として自他ともに認める『恐るべき子供たち』の映画化を、コクトーは長きにわたり許さず、自らも監督する意志がないと答え続けた。しかしコクトーはジャン=ピエール・メルヴィルの初長編映画『海の沈黙』(1949)を観た翌日、自ら監督に直接電話を入れてその作品を賞賛した。拒み続けていた『恐るべき子供たち』の映画化は、天賦の才能に出会ったことで、コクトーを映画化実現の衝動へと突き動かされていく。

 

即興と演劇的スタイル〜ヌーヴェルヴァーグの胎動

メルヴィルは、助監督修業を経ずに独学で映画を研究し、自主映画の製作を通じて映画監督となった、当時としては稀有な映画監督だった。

彼は「映画は撮影所内で作られる」という当時の常識を嫌い、低予算・自己調達のもと映画を製作。自宅にカメラを持ち込んでの撮影や当時はまだ珍しかった街頭でのロケ撮影など、即興性と演劇性を取り入れたそのスタイルは、言うまでもなく以後のヌーヴェルヴァーグへの大きな布石となった。

後に、映画監督としてのキャリアをスタートしたばかりのフランソワ・トリュフォーは、メルヴィルに「『恐るべき子供たち』を私は25回見ました」と興奮ぎみに伝え、クロード・シャブロルも『いとこ同士』で撮影監督のアンリ・ドカエに「あの作品と同じ様に撮ってほしい」と懇願したと言う。ヌーヴェルヴァーグの胎動はこの時から始まっていた。


新しい波を支えた名カメラマン

この作品を語る上で外せないのが、撮影監督アンリ・ドカエの存在である。元々録音技師だった彼は、メルヴィル監督のデビュー作『海の沈黙』で、彼自身も撮影監督としてのキャリアをスタートさせた。その後の活躍は衆目の事実である。本作『恐るべき子供たち』を挟んで、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』、前述の『いとこ同士』、トリュフォーの『大人は判ってくれない』、ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』と、ヌーヴェルヴァーグの範疇に止まらない活躍を果たし、後年はハリウッド映画にも進出。またメルヴィルとは『サムライ』『仁義』などフィルームノワールの世界観を確立していった。


個性的なキャストによるアンサンブルの素晴らしさ

原作では16歳と言う設定の少年たちを、コクトーの希望でひとまわり以上、年齢が上の俳優たちに演じさせると言う試みは、公開当時は賛否があった。

しかしそこには明らかにコクトー芸術の世界観が色濃く反映されている。

弟への近親的な愛と所有欲や嫉妬心を巧みに演じて、公開当時その演技が絶賛されたエリザベット役のニコール・ステファーヌは、ロスチャイルドの家系を継ぐ名家の出身で、生粋の正義感から若い頃は政治運動に身を投じていたと言う強い精神の持ち主。

激しく強い姉の呪縛の下、悪魔の様な少年ダルジュロスと、ダルジュロスと瓜二つの美しい娘アガットの間で感情を翻弄されるポールを演じたエドゥアール・デルミットは、フランス北東部で炭鉱夫として働いていた後、詳細は不明だが1940年代後半にコクトーと出会い、生涯に渡り彼の寵愛を受けた。彼の顔は、コクトーが理想とする“美”そのものだった。

ダルジュロスとアガットの二役を演じたルネ・コジマは、その可憐な魅力と邪悪なイノセンスを演じ分けて繊細な演技を披露した。ダルジュロスとアガットを一人の女優が演じていたことに気づかない人も多かったはずだ。

常に中立的な立場で、不均衡なキャラクターたちとのバランスを保つジェラールを演じたジャック・ベルナールは、2000年初頭まで映画や舞台に出演し続けていたが、現役からは退いたものの92歳になった現在も存命である。

因みにダルジュロスは、コクトーの子供の頃の学友の名前から取られた者で、キャラクター作りにも大きく影響していると言われている。

 

監督・脚本ジャン=ピエール・メルヴィル 脚本ジャン・コクトー / ジャン=ピエール・メルヴィル 撮影アンリ・ドカエ 衣装デザインクリスチャン・ディオール [1950|105|フランス|モノクロ|スタンダード4Kデジタルリマスター版 DCP